大阪を離れて思うこと
こんばんわ
加藤大吉です。
大晦日イブギリギリのタイミング(過ぎたけど(^^ゞ)、
唐突ですが、
大阪を離れて思うこと
を書いてみようと思います。
まず、結論から言うと『大正解!』ですね。
これは、こっちに来て当初から変わらないですね。
中途半端な田舎、the地方都市出身者にとって初めての本格的な田舎生活(?)でした。
しかも、良くも悪くも会社のおかげで、完全に染まりきるわけでもなく、
大吉的にはちょうど良いバランスだったかもですね。
ぶっちゃけ、ここに家を建てたいとも思ってます。リアル10年後位には。
しかも、突然田舎に行くわけではないので、ある程度顔見知りの人もいるので、地域にも入りやすいですしね。こういうきっかけをくれた会社にはホンマに感謝ですね。
オモシロくない?(笑) 本音なんで仕方がない。
だってね、
朝日がサンサンと輝く午前中は「よし!仕事するぞ!」って
夕日が傾いてきたら「もう今日はおしまいだな」って
頭の上一面に広がる真っ青な青空や、キラキラ輝く海面に夏を感じ、
「北斎かっ!」って突っ込みたくなる、荒れる白波で、冬の北風を感じる。
そして、また、蠢き出す木々の芽ぶきに春を感じる。
結婚をし、こどもができ、一年一年の違いを五感で感じられる生活ができることの豊かさに感謝しています。
たぶん、大阪にいれば、もちろん東京であっても、
朝起きて、通勤電車に揺られ、定時に出勤。『同じ』日々を毎日過ごす生活。そこに29歳と30歳の違いは生じない。
実は、ここ数日とてもきれいな夕日が見えたのですが、瀬戸内に沈む夕日です。でも、手持ちのiPhone6sでは、実物の美しさを酷く損ねてしまう気がするので載せることはやめました。ここでの生活は、毎日が美術館の絵画の中です。
そして、じかんが『ゆっくり』流れます。いろいろなことを考えます。考える時間があります。空間もあります。
世の中では、少子化が一つの大きな問題になっていますが、そもそも、30代を大きく超えて結婚をすることが問題なのです。でも、22で大学を出て、毎日大きな変化に飲み込まれる現代の社会の中で、ようやく社会人として一端になって結婚を考える時にはもう30。嫁が妊娠し、先輩ママたちの話を聞いて初めて実感をします。世の中では、盛んに30代、時に40代の『高齢出産』が報道されますが、その裏ではどれほどの身体的負担が、その女性にかかっているのでしょうか?その姿は多分、出産を経験した女性以外にはわからないものだと感じます。
人生にはリミットがあります。リミットの存在するイベントがあります。
『何事も遅すぎることはない』という人がいます。本当でしょうか?
嫁には両祖父母が顕在です。うち二人ははじめての『ひ孫』を見ることになるでしょう。
もちろん。そういったリミットに従うことが『絶対善』だという浅はかさは持ち合わせていないつもりです。ただ、今の大都市での働き方に、このような『リミットごと』に対して、『自分が』それに抗うのか。それとも、リミットに従う人生を『自分は』選びたいのか。自分の人生と見つめる時間や空間は限りなく少ない気がします。
ここでは、簡単に広い庭付きで家を建てられます。子どもが生まれ、植樹をし、子どもと同じく育つ木の花を眺め、果を食す。そう、まるで海街diaryの『梅』。そんな豊かさが『ここ』にあります。
『まだ努力が足りない!』
『自分はダメだ!』
『俺はもっとできる!』
『ちゃんとしなければ!』
いや、あなたの努力は足りてますよ。
あなたは実は結構イケてますよv。
もっとできるかもしれませんが、充分できてます。
うん。ちゃんとしてますよ。
でも、一つだけ足りないのは、自分を許すゆとりだと思います。
『気づいてるよ!そんなこと。』って思いましたね。
ゆとりを持てるように『変わろう』と思ってますよね。
でも、順番は逆です。
『変わろう』と思ったから『変わった』のではなく。
『変わった』から『変われる』んだと、大吉は思います。
まぁ、一気に変えることは現実的ではないかもしれないので、できる範囲でいいので、トライ&エラーでももちろんOKだから、来年は変えていきませんか?
「自分は変わるぞ!」という思いだけでは変わらないということ
ここにきて、教えてもらいました。
年の瀬にそんな言葉をアナタに送りたいと思います。