引き算と足し算の人生

おはようございます。
大吉です。

ついに安倍政権の重要閣僚にカネの問題での 辞任がでました。
先日から野党の追及もありましたし、当人としては忸怩たる思いがあったかと思います。

そんななか、大吉としてはこんなことを思っていました。
引き算の人生で楽しいことってあるんだろうか?

昔からそうだったかと思いますが、最近の国会論戦を見ていて特に思うのは
なぜ具体的対案を出さずに批判ばかりするのだろうか?
ってことです。

昔から、大吉は評論家が嫌いです。
机上の空論なんて、小学生にも言えるからです。政治家のお金のルールを守ることは殊に大事です。しかし、これだけ昔から話題になるということは、構造的な課題があるということです。
にもかかわらず、目の前のルール違反を糾弾するのみ(しかも、今回の件は法的責任は生じていない状況)で、社会全体としての方向性への具体的な話は何もしない。

アベノミクスは確かに万民にとっての最良の方策ではないかもしれない。しかし、だからと言ってコレを批判するのであれば、これに対する具体的な(実行可能な)対案を野党は何故どこも出せないのでしょうか?

個人生活においても同じです。

大吉は既婚です。嫁がいます。確かに嫁に対して不満がないわけではありません。(まぁ、それ以上に欠点の多い自分です。)でも、それ以上に大吉の嫁として素晴らしいところを持っている嫁です。
普段は言いませんが、まさに世界最高の嫁だと思っています。
大吉は会社員です。会社に不満があります。でも、不満以上に素晴らしい点もこの会社にはいくつもあります。だから、退職までの時間、しっかりと貢献したいと思っています。

あなたの周りに誰かの揚げ足取りばかりしてる人がいて、楽しいですか?それよりも、建設的な話をしてくれる人がいる方が毎日が楽しくないですか?
昔、国語の授業で白眼視という言葉を知りました。当時は嫌いでした。他人への関心をなくすなんて最低だって、
でも、いまならわかります。
足し算でいきたいのに、引き算をしてくる人がいると、足を引っ張られます。ストレスです。日々の幸せ感を減じてしまいます。

なら、関心を持たない方がいいですよね。
こんな風に、周りを引き算でしか見られない人は自分自身が引かれていることに気がつきません。

人を足し算で見られる人は、足し算の人から見て心地よく感じます。心地よく感じますのでいつまでもそばにいます。そばにいるのは足し算の人ですからいつまでも、いろんなことを足してくれます。どんどん豊かになっていきます。

考えてみれば当然の、論理的帰結ですよね。

今日も皆さんが足し算で入られますように