人の住く、裏に未知あり、花の山

おはようございます。

加藤大吉です。

 

なんとか、ご覧頂いている皆様のおかげをもちまして、何とか1週間を乗り越えられました。三日坊主の大吉にしたらすごいことです。

 

本当にありがとうございます。

 

 

さて、昨日は『フツー』である、就活生のためにメッセージを送りました。

ですが、これからの世の中は『フツー』であることがリスクになっていく社会だと思っています。

 

なぜか?

 

このブログ名とも関係があるのですが、普通であるということは、その中で勝ち抜こうと思ったら、圧倒的多数のライバルと戦い続けなければならないわけです。それは、ものすごい大変なことだと大吉は思います。レッドオーシャンですよね。(--〆)

しかも、『三人寄れば文殊の知恵』ということわざがある代わりに『船頭多くして船、山上る』ということわざもあります。つまり、大多数との集団の中にいると、孤独感という感情は癒されますが、何か集団が間違いに向かっているときに、『フツー』な自分一人では、その圧倒的多数の集団を立て直すことは不可能に近いんですね。そもそも、『フツー』な他人が気が付けないことを『フツー』な自分は気がつくことができない。というトートロジーっぽくもなるのですが、、、

※もちろんそれを跳ね返して立て直せる人もいますが、そういう人はすでにフツーではありません

 

だから、大吉はフツーであるがゆえに『フツー』であることを拒みます。

つまり、『他人と』どうあるかではなく、『自分が』どうあるかが問題なんですね。

 

ブログ名の『人の住く、裏に未知あり、花の山』ですが、証券関係の方はご存じだと思います。もともとは千利休が伝えた『人の行く、裏に道あり、花の山(いずれをいくも散らぬ間に行け)』という相場の格言から、オマージュしてます。

 

なぜか?

 

人の行く裏に道はありません。道があるということはそこに誰かが通っていたという証です。つまり、裏を行くならばそこにはあるものは、出来上がったものとしての『』ではなくて、誰もがチャレンジをしていない『未知』であるべきだと、大吉は思います。

少なくとも、人生訓に変えようとしたならこのように解釈するのが自然だと、大吉は考えます。

 

もちろん。未知の藪に足を踏み入れるわけですから、迷うこともあるでしょう。けがをすることもあるでしょう。当然、誰もいないですから、孤独で、さびしくて、怖いこともいっぱいあります。しかし、誰もしないからこそ未知の先に花の山という大きな感動が待ち受けているのだと思うのです。

皆さんは『花のない山』『少ない花を奪い合う山』にいきたいんですか?

大吉は、『花があふれる山』『花を他人に分けてあげられる山』に行きたいと思っています。

 

 

ですから、このブログのテーマは『如何にフツーという既成概念が、損な事なのか!?』を暴き続けたいと思います。

 

 

じつは、こういう考え方・軸が大吉の中で強まったのは、つい最近です。

ピーター・ティールという起業家兼投資家をご存知でしょうか?彼の『ZERO to ONE』という著書の中に、次のような一節があります。

※彼の会社の採用面接での一コマです。

『賛成する人がほとんどいない。大切な真実は何だろう?』

なかなか、特に日本の様に『皆に共通する解』を教え込む教育制度のもとではなかなか答えるのが難しいかもしれません。

彼は、本の中で独占企業に対して『絶対善』の立場から論を進めます。しかし、日本の教育では逆でした。大吉も逆に思いました。曰く「独占企業は消費者から利益を搾取する」と。

 

しかし、かれは本の中でこう説きます。「競争的な生態系は人々を追い詰め、死に追いやる。」「独占企業には金儲け以外のことを考える余裕がある。」と。

思い当たることがありませんか?

戦国乱立の居酒屋業界ではW社の社員が過労死で裁判になり、牛丼のS屋では『ブラック』との風評がはびこりました。

私たちは消費者であると同時に労働者でもあるんですよね。

自由主義経済によれば、競争経済により、価格は安くなり、消費者である私たちは利益をこうむることができるはずでした。しかし、労働者でもある私たちは15年以上給料が下がり続けています。

自由主義経済によれば、独占状態は、経済的に非効率を生み消費者であ『私たち』に不利益を与えるはずでした。しかし、IT革命を引き起こしたビルゲイツは現在、慈善活動家として動いており、世界中に福祉を配っています。彼のMS社は世界中の国境による経済格差をなくしつつあり、世界中の富を増やし続けています。アップル社は確かに携帯端末の値段を引き上げましたが、代償として、私達の社会に十分すぎる便利さを与えてくれました。LINEやFBは一般利用者に『無料』で人々の『コミュニケーションコスト』を飛躍的に低廉させました。

思えば、軍事の二大独占時代とも言える米ソ冷戦時代は、核の恐怖こそありましたが、少なくとも中東でも、欧州でも今ほど無差別テロにおびえる必要はなく、平和な時代だったと言えるでしょう。

 

このように、『独占状態は悪である』というステレオタイプで例を挙げてもこれほどの疑問点が浮かんでくるわけです。

 

だとすると、自分が花の山へ辿りつくためにはどうしたらいいのか?もちろん人の道の後を歩いてもそんなものはないですし、独占企業を作ることでさえ!もしかすると間違いかもしれない。

※そもそも作れるかという問題はさておき

 

しかし、冒頭にもあるように、おそらくはこれからは『フツー』であることがリスクになる、あるいは負正解だったといわれる社会になると考えます。そして、そのリスクや、負正解を避けるためのヒントはどうやら、『フツー』のにありそうだというのが、大吉の考えです。

 

このブログでは、引き続きフツー『ではない』、フツーとは『逆』の、あるいは一般的で『ない』情報を発信していきたいと思います。言霊が悪いですね。キャンセルします。

このブログでは、引き続き『新鮮』で、『クレイジー』で、『面白』い、『刺激的』な情報を提供し続けられるように大吉自身楽しみながら書いていきますので、どうか引き続きよろしくお願いいたします。