どうせ叱るなら意義あるものに。。。

おはようございます。

 

最近、神社のお参りで、2日連続の末吉を出した大吉です。(笑)

 

今日は、年度も変わり、新しく部下や後輩を持つことになったあなたへ書いてみました。

 

どうせ叱るなら意義あるものに。。。

 

 

ということで、今回は叱り方のお話です。

 

叱るって、難しいですよね?

 

今まで散々、叱られて(?)来たにもかかわらず!?

いざ自分が、叱る場に立つとうまくできない。

『絶対!あんな上司にはならない!』と思ったはむかし。今では、

『〇〇さん(上司)の苦労が少しわかりました・・・。』って

 

おいおい!立場変われば、自己弁護…ですか?

 

ということで、上手な叱り方ってなんでしょう?

 

・・・。

 

・・・。

 

 

それは、、、

 

相手をお客さんだと思って叱ることです。

 

え?って思いました?でも考えてみてください。お客さんはどんな存在ですか?もちろん、会社にとってお金を払ってくれる「」ですよね?

部下・後輩はどんな存在ですか?もちろんお金を稼いできてくれる「」ですね?もちろん。新人さんとかだったら、稼いでくるよりも持って帰られるお給料のほうが多いかもしれませんが、、、最終的には「稼いでくれる」ハズです。

 

さて、気づいてもらえましたでしょうか?

どちらも、同じ「」なんですよね。さて、アナタは同じ対応をしていますか?

 

まぁ、なかなかお客さんを叱るシチュエーションは少ないと思いますが、、、

 

たとえば、電車の優先座席に踏ん反り帰っているサラリーマンが居たとします。目の前には、明らかに体調の悪そうなおばあさんが・・・

あなたが車掌さんだとして、どのように声をかけますか?

 

たぶん、多くの人は「ココが優先座席であることを認識しているか?」「隠れた体調不良を持っているかどうか?」の順序を踏んで席を譲ってもらうように話をするのではないでしょうか?

でも、自分の部下・後輩には頭ごなしに叱るのではないでしょうか?相手は同じ「人」なのに。

 

実は、お客さんへの説教(依頼や、いわれのないクレームへの反撃)は一歩間違えると自分(そして自社)へのクレームに繋がる非常にデリケートな問題です。

だからこそ、絶対に反論を許さない、言い回しが必要になります。

なぜ、コレが必要なのかというと、どんな悪人にも五分の理があるからです。

 

 

「私の心・・・優しい心である。だれひとり人を傷つけようと思わぬ心である。」

と遺言を残す2丁拳銃のクローレーは、たまたま職務質問を受けただけで、その場で警官を射殺するなど多くの人を殺していたし、

 

「俺は働き盛りの大半を世の為、人のために尽くしてきた。・・・ところが、俺の得たものは冷たい世間の非難と、お尋ねものの烙印だけだ。」

と嘆いたのは、アメリカのギャング、アル・カポネの言葉です。

 

つまり、どんな大悪人であっても、「言い訳」や「自己弁護」は生じてしまうものなのです。まして、そんな大悪人ではない、皆さんの部下や後輩はどうでしょう?

コレは、もう、人は非難されたなら、構造的に自己弁護をしてしまうということ他なりません。そして、自己弁護をしている者に心からの反省はありません

 

 

であるからして、人を叱る立場にある人は、一切の自己弁護(心の中のものを含む)を許さない指導をしなければならないのです。

 

 

そのときに大事になること

それは、話の対象を大きくしないということです。

話の対象が大きくなれば、なるだけ、それに関連した「では△△はどうなんですか?◇◇だって・・・」となります。

世の中にはこういう人に便利な「50歩100歩」という言葉があります。

「自分は、確かに100だけど、じゃ、50の〇〇さんはいいんですか?じゃ、50までは許されるんですね?」

という逃げ道を作ってしまいます。(コレを口にするかしないかは別として。)

だから、話を大きくせず、シンプルにしなければならないのです。

 

「キミの〇〇はよくないよ。それから△△もどうなんだ?」なんてもってのほかです。

叱られるボリュームが増える分、自己弁護ベクトルも大きくなるものです。

叱るときは必ず一つだけ!シンプルにしましょう!

 

それから大事なのが、

先に事実確認をする。(できるだけ細かく、というか自分の認識に誤りがないかの確認)

ということです。

 

左記の車掌の例で言うと、もし、先に席を譲ってくださいとお願いをしたならば、「自分も体調不良なんだ」と食ってかかられるかもしれません。あるいは、「ここが優先席とは知らなかった、表示が小さいのだから私が気がつかないのも無理がない!そんな私に恥をかかせた!」と逆切れだってされるかもしれません。

 

遅刻をしたなら、本当に遅刻をしたのか?どうなのか。

万々がいちにも「困っている人を助けた。」的な情状酌量の余地はないのか?

遅刻なら遅刻で10分の遅刻を1時間の遅刻と勘違いをしていないか?・・・etc

セルフチェックも含めてやってみましょう。

 

そして、最後に

冷静に話を進めてください。

人は感情的な人間を見ると、自分自身も感情的になります。脳科学的にはミラーニューロンの働きで説明できます。

自分が感情的な時には、相手も感情的になってしまうのです。

 

感情的になっている人間は反省できません。

「反省」という行為はきわめて理性的な行動です。

事実を認識し、その社会的是非を判断し、その非を謝罪すると同時に、その原因分析と改善策立案と実行・・・

ここまで至って、ようやく外部(あなた)からも『反省』が認識されます。

 

であるにもかかわらず、叱っている本人が感情的であればあるほど、叱られる対象(部下・後輩)も感情的になり、ますます『反省』から遠のくのです。

部下や後輩の反省が足りないのは、もしかするとあなたの『感情的な』叱責が本人の反省を阻害しているかもしれないのです。

 

もちろん。ことの重大性を伝えるために『感情的』になる叱責法がないわけではないですが、よほどのことがない限り避けるのが無難です。

 

 

ということで、ぜひ、次に叱責する機会があれば、①叱責する点をシンプルにして、②事実確認を怠らず、③冷静に、話しかけてみてください。

 

案外、感情的に叱られるよりも、ニコニコしながら冷静に叱られるほうが怖かったりもしますよ。