実家帰省わず!
あけましておめでとうございます。
今年も加藤大吉30歳、もうすぐ新米パパをよろしくお願いいたします。
この時期になると、やっぱりブログに上がってくる記事は2大テーマが多いですよね。
『新年の抱負』と『帰省報告』
だれも、他人の帰省先のことなんか興味ないんですけど、、、
書いてみちゃった(笑)
実家帰省わず!
はい。
じつは、いままで、大学で実家を出てからまともに帰省した覚えはないんですが、
さすがに今回は帰省してきました。
臨月の嫁さんも旅行がてらついてきてくれて、大吉の姉さまも驚き半分、嬉しさ半分な感じでしたね。
距離的にも、瀬戸内海を端から端までっていう感じはちょうどよいのかもしれません。
んで、お互いの実家に帰省中に思ったことは、
『結婚』ってやっぱ、個人と個人のつながりではないというか、ダケではないというか、まぁ、やっぱり家と家をつなぐものなんだろうな。ってこと。
楽なんですよ。個人と個人のつながりにして、じぶんとこの実家だけ帰って、相手の実家は知らんぷりとか、もしくは、自分の子どもたちとだけ、なんチャラかんチャラ遊んでって言うのは。
気も使わないですしね。
けど、それでいいんすかね?
先月も新聞投書欄とかで見ましたけど、
『一人暮らしの私のもとに、息子家族が帰ってこない!嫁の実家には帰っているのに(+o+)』的なやつ。
なんかさみしいですよね。
こういうケースは結構、自業自得な、自分が相手の親元にあんまり帰ってなくて自分の実家ばっかり帰省してたとかいう因果応報的な場合が多いのですが、、、
まぁ、でも、やっぱり、自分が親の身になったら、そのさみしさわからんでもないって感じです。
結婚して、自分が新しい家族を作っていったとしても、自分はじぶんで、やっぱりオヤジとオカンの息子で、お兄様やお姉さまの弟であり続けるわけで、嫁さんは嫁さんで同じ様になるわけで、そことのご縁は切れるものではないというか切ってはならないものなんですよ。そうすると、お正月というのは1年に一度しかないのに、一つの家族の中に二つの家族が交ざり込むわけで、そりゃめんどくさいですよね(笑)。
シングルの時に比べて、自分の時間のうち『家族』に費やす時間は確実に倍々ゲームで増えるので、『時間の浪費』のようにも感じますしね。
けど、そういっためんどくささが増える代わりに『つながり』も増えていくのが結婚かと思うわけです。
たまたま、嫁の実家が近いということもあって毎月のように帰っていたら、まじ、自分の実家のように居心地も良くなって『リアル第二の実家』って感じなわけです。お義父さん、お義母さんだけじゃなく、おじいちゃんおばあちゃんまでよくしてくれますからね(^v^)
でも、それもこれも、面倒くさがらずに大吉が嫁さん一族に顔を出し続けた結果です。
エッヘン♪
コレ、面倒くさがっていたらどんなに『ヨメさん一族』が大吉と仲良くした~いと思っていただいたとしても無理でしょ?大吉のほうからコンタクトを閉ざしちゃってるので!
やっぱり、大吉のほうからヨメさん一族に、ヨメさん一族が大吉一族のほうに顔を出さないと
だから、
結局、どうなりたいか?というところだと思うんですが。
自分が、60になっても、70になっても80になっても、ホンマにホンマに自分一人がいいんだ!嫁・子ども・孫が正月に帰ってくる必要なんかねぇよ!という『すとろんぐはーと』をお持ちの皆さまはぜひ、独身貴族や、相手の実家には帰らないという道を進まれたらいいかと思うのですが、、、
そうでない方には、ぜひ、相手さんのご家族を自分の家族と同じように、もともと他人なだけ自分の家族以上に大切にしてあげるのがよいかと思います。
そうすることで、たぶん、あなたのお子さんもお孫さんも『家族とはみんなで寄り添うもの』『結婚とは夫婦だけではなく、向こうさんの家族とも付き合うもの』と思い始めますから。
やっぱり『戦後教育の悪影響』って一言でまとめたくはないですが、戦後一貫して『個人主義』化を進めてきた弊害なのかなぁと思ったりもします。『個人主義』は『個人主義』で大事だと思いますが、
『人』は『家族』から生まれ、育っていくという根本は忘れてはならないと思います。
最近はまとまりのない記事が続いてスンマセン。そろそろまとまった記事を上げていこうかと思ってます。
今年も皆さんにとってより良い一年でありますようにヾ(@⌒ー⌒@)ノ
大阪を離れて思うこと
こんばんわ
加藤大吉です。
大晦日イブギリギリのタイミング(過ぎたけど(^^ゞ)、
唐突ですが、
大阪を離れて思うこと
を書いてみようと思います。
まず、結論から言うと『大正解!』ですね。
これは、こっちに来て当初から変わらないですね。
中途半端な田舎、the地方都市出身者にとって初めての本格的な田舎生活(?)でした。
しかも、良くも悪くも会社のおかげで、完全に染まりきるわけでもなく、
大吉的にはちょうど良いバランスだったかもですね。
ぶっちゃけ、ここに家を建てたいとも思ってます。リアル10年後位には。
しかも、突然田舎に行くわけではないので、ある程度顔見知りの人もいるので、地域にも入りやすいですしね。こういうきっかけをくれた会社にはホンマに感謝ですね。
オモシロくない?(笑) 本音なんで仕方がない。
だってね、
朝日がサンサンと輝く午前中は「よし!仕事するぞ!」って
夕日が傾いてきたら「もう今日はおしまいだな」って
頭の上一面に広がる真っ青な青空や、キラキラ輝く海面に夏を感じ、
「北斎かっ!」って突っ込みたくなる、荒れる白波で、冬の北風を感じる。
そして、また、蠢き出す木々の芽ぶきに春を感じる。
結婚をし、こどもができ、一年一年の違いを五感で感じられる生活ができることの豊かさに感謝しています。
たぶん、大阪にいれば、もちろん東京であっても、
朝起きて、通勤電車に揺られ、定時に出勤。『同じ』日々を毎日過ごす生活。そこに29歳と30歳の違いは生じない。
実は、ここ数日とてもきれいな夕日が見えたのですが、瀬戸内に沈む夕日です。でも、手持ちのiPhone6sでは、実物の美しさを酷く損ねてしまう気がするので載せることはやめました。ここでの生活は、毎日が美術館の絵画の中です。
そして、じかんが『ゆっくり』流れます。いろいろなことを考えます。考える時間があります。空間もあります。
世の中では、少子化が一つの大きな問題になっていますが、そもそも、30代を大きく超えて結婚をすることが問題なのです。でも、22で大学を出て、毎日大きな変化に飲み込まれる現代の社会の中で、ようやく社会人として一端になって結婚を考える時にはもう30。嫁が妊娠し、先輩ママたちの話を聞いて初めて実感をします。世の中では、盛んに30代、時に40代の『高齢出産』が報道されますが、その裏ではどれほどの身体的負担が、その女性にかかっているのでしょうか?その姿は多分、出産を経験した女性以外にはわからないものだと感じます。
人生にはリミットがあります。リミットの存在するイベントがあります。
『何事も遅すぎることはない』という人がいます。本当でしょうか?
嫁には両祖父母が顕在です。うち二人ははじめての『ひ孫』を見ることになるでしょう。
もちろん。そういったリミットに従うことが『絶対善』だという浅はかさは持ち合わせていないつもりです。ただ、今の大都市での働き方に、このような『リミットごと』に対して、『自分が』それに抗うのか。それとも、リミットに従う人生を『自分は』選びたいのか。自分の人生と見つめる時間や空間は限りなく少ない気がします。
ここでは、簡単に広い庭付きで家を建てられます。子どもが生まれ、植樹をし、子どもと同じく育つ木の花を眺め、果を食す。そう、まるで海街diaryの『梅』。そんな豊かさが『ここ』にあります。
『まだ努力が足りない!』
『自分はダメだ!』
『俺はもっとできる!』
『ちゃんとしなければ!』
いや、あなたの努力は足りてますよ。
あなたは実は結構イケてますよv。
もっとできるかもしれませんが、充分できてます。
うん。ちゃんとしてますよ。
でも、一つだけ足りないのは、自分を許すゆとりだと思います。
『気づいてるよ!そんなこと。』って思いましたね。
ゆとりを持てるように『変わろう』と思ってますよね。
でも、順番は逆です。
『変わろう』と思ったから『変わった』のではなく。
『変わった』から『変われる』んだと、大吉は思います。
まぁ、一気に変えることは現実的ではないかもしれないので、できる範囲でいいので、トライ&エラーでももちろんOKだから、来年は変えていきませんか?
「自分は変わるぞ!」という思いだけでは変わらないということ
ここにきて、教えてもらいました。
年の瀬にそんな言葉をアナタに送りたいと思います。
~まとめ~『デキル人』とは、『デキナイ人』の妄想の産物です。
おはようございます。
大吉です。
いかがだったでしょうか?
二日にわたりましたので、ちょっとまとめてみましょう。
~まとめ~『デキル人』とは、『デキナイ人』の妄想の産物です。
前篇では『才能の差なんてないんだよ。努力の量の差だけなんだよ』っていう記事でしたね。コレは一面では事実なんです。やっぱり努力の量というのはありますし、概して結果出している人というのは陰で、努力してますから。
続編は、でも、『才能には差はないけど、向き不向きはあるよ』って言う記事でしたね。剣士がムリして賢者を目指したって駄目なように、賢者が剣士を目指したって駄目なように。
たしかに、むかしから『石の上にも3年』といいますよね。会社でもよく言われtましたよね『まずは、3年やってから考えろ』って。でもね、もう時代が違うんです。たぶんね、1985年の新社会人と1990年の新社会人って同じスキルだったと思います。社会背景がほぼ同じですから。
でもね、2010年の新社会人と2015年の新社会人ってスキルが全く違うんですよ。少なくとも2010年の新社会人でFBを使っている日本人は今ほど多くないはずです。逆に2020年の新社会人は、今のアイフォン使用者並みの率でドローンを飛ばしているかもしれませんし、2025年には『タクシーに乗ったことのある人・・・0人』『ウーバー使ったことある人・・・全員』みたいになってるかもしれません。
社会が、毎日のように変化し、昨日は世界を支配している会社はウインドウズだったが、今日はフェイスブックで、明日はスペースX かもしれないという時代に3年も不向きなことをやり続けるということは『自分自身の人生』に対してあまりにも無責任すぎる。と大吉は考えます。
もっと自分を大事にしましょう!
以前にも言いました、人が変化するには3つの条件(環境・時間・人)のうち何も変えずに、自分を変えることはできません。自分を変えることができないんだから『もっと頑張ります!』『もっと努力します!』なんて言うのはやめましょう。他人にも、自分自身にたいしても「嘘ツキ」になってしまいます。
大吉もそれを言い続けてました。不動産時代。『もっと頑張ります。』『もっと真剣にやります。』『もっと早くに出勤して商材を覚えます。』って。半年以上は言い続けました。真剣に。
でも、成果を出すことはできませんでした。
なのに、環境が変わり、今のところでは、何かと活躍してます。(たぶん。)
最高のサードではないかもしれないし、最高のセカンドでもないかもしれないけれど、とりあえず、内野はどこでも守れるし、外野はもちろん。キャッチャーもなんだったらピッチャーもできるつもりです。
それは、無理にサッカーをしようとせず、野球にスポーツを変えたから、剣も魔法も下手だったので、勇者になろうと決めたからです。
人は、他人にウソをつくことはできても自分にウソをつくことはできません。
自分がずいぶん前から『頑張ります』『努力します』と言い続けているのになにも状況が変わっていないなら、メンタルをやられる前にさっさと会社をやめるべきです。
『デキル人』とアナタが勝手に決め付けているのは、たまたま環境がその人に適っていただけで、『デキナイ人』とアナタが勝手に決め付けているのは、たまたま環境がその人に適っていないだけなのだから。
勇者の『勇』は戦う『勇』では、ございません。そんなの剣士も賢者も持っています。でも、勇者の『勇』は皆の命を守るため、自分の命を守るため、逃げることを選ぶ『勇』だということを忘れないでくだささい。
~続~ 『デキル人』とは、『デキナイ人』の妄想の産物です。
おはようございます。
加藤大吉です。
どうでした?昨日のカナリな激ヅメだったでしょ?現実を見せてられたでしょ?
しんどかったでしょ?
でもね、このブログ、誰が書いてると思ってるんですか?大吉ですよ!?
D・A・I・K・I・C・H・I !!
あのままだったら、そこらへんのイタイ人たちと一緒じゃないですか?だから終わりません!!後篇行きますよ!?準備はいいですか?
それでは行きましょう。後篇です。
~続~ 『デキル人』とは、『デキナイ人』の妄想の産物です。
はい。前回を簡単にまとめると、『才能の差なんてないよ。デキル・デキナイをきめるのは努力の量だけだよ』ってないようでしたね?
ア『本当でしょうか?』
大『もちろん違います。』
ア『え?じゃぁ、やっぱり、才能の差はあるんですよね?』
大『それも違います。』
ア『え?じゃぁどういうことですか?』
お答えしましょう。
大吉は「ドラクエ」ユーザーでしたので、ドラクエでお話しします。
アナタは、勇者だとします。剣技は剣士に劣り、魔法は賢者に劣り、逃げることさえトルネコ、否、盗賊に劣る。まさに劣るものだらけ。まさに『無能』『デキナイ奴』ですね。
けどね。冷静に考えましょうよ。
アナタより剣技に優れる『剣士』だって、魔法は『メラ』一つ、『ホイミ』一つ使えない。
アナタより、魔法に優れる『賢者』だって、剣技はできないし、そもそも、MPなくなったらただの一般ピーポー=村人です。洞窟に入るにあたってマジいらねーひと。
誰もが憧れる『武道会の花形』剣士だって、偶々剣の修業をしていたから、魔王を倒すパーティーに加われたのであって、道を間違えて魔法の修業をしていたら・・・。
もちろん。ベギラゴンからザオリクに、マホカンタを操る賢者様だって、魔法ではなく、剣技をしていら・・・いつまでも斬撃一つできない、木の棒きれを振り回すただの頭のおかしいおじいちゃんですよ。わかります?もう、村の子どもに後ろ指差されるレベルです。
剣士が『剣士』として活躍し、賢者が『賢者』として活躍し、魔王を倒す最高の『パーティ』にいられるのは、『たまたま、自分のできることを探して、のばして、できないことは仲間に頼る』ってことを覚えたからなんですよ。
ワンピースもいっしょです。『船長』が『船長』でいられるのは、『世界一の剣豪』になることも『世界一の航海士』になることも、『医者』も『音楽家』も『造船技師』も、ぜ~~~~~んぶあきらめたから。これが、『船長兼剣豪兼航海士、医者、音楽家』って目指してたらフーシャ村から出られませんから!
それこそ、最初の村から出られません。
青山選手はそのことについても言っているんですね『たまたま広島だったから』と
逆を言うと『広島じゃなかったらプロとしても怪しかった』ってことです。広島という環境が合っていたからここまで来れたにすぎない。と。
もうわかりましたか?
だれもが、全教科満点を取れないように、人それぞれに向き不向きがあります。
『置かれた場所で咲きなさい』と偉い女の人がいていましたが、もちろん。置かれた場所で咲こうとする努力は大事です。大事ですけど、努力しても咲くことができないならさっさと場所を変えることです。
農業では、『適地適作』という言葉があります。『モノを作るにはそれに向いたところで作りなさい。そのほうがより「ラク」に、より「美味しく」できる』という意味です。なんで、ワザワザ「苦行」を冒してまで、より「へたっぴ」な才能を伸ばそうとするんですか?
村人が剣技を覚えようとして隣の剣士に負けたなら、さっさと見切って賢者を目指したらいいんですよ。魔法が隣の魔法使いより下手だったら、さっさと盗賊になればいいんです。盗賊にすらなれなかったあなたは『勇者』になることが唯一できるのだから。
『デキル人』とは、『デキナイ人』の妄想の産物です。
おはようございます。
加藤大吉です。
最近、人事・ビジネスネタばっかりだなと反省しておりますが、今日も行きます。
このまま年内ずっとにしようかな・・・?
ということで、
『デキル人』とは、『デキナイ人』の妄想の産物です。
はい。今日のネタは『デキル』『デキナイ』ネタです。
こういうことに悩んでいる方って多いですよね。
しかも、『デキナイ人』は結構真剣に悩んでいて結構ウツが入っていることもあるので、気をつけなければならないんですが、、、
・・・気をつけません!(キッパリ)
なので、これを見ていて、かつ自分を『デキナイ人』と決めちゃってる人は本気時の取り合追加に気を付けてくださいネ。劇薬だと思います。
結論から言うと、この世の中に『デキル人』っていうのはいないし、ってかほんのごくごくごく一部だし。日本中を探しても、1人居るかいないかレベルです。本当にデキル人は。
そして、デキナイ人っていうのもいません。あなたが勝手に自分を『デキナイ人』と決めつけちゃってるだけなんです。いや、実は、アナタは、勝手に自分で自分のキャラを『デキナイ人』キャラに設定し、自分の設定通りに実演した『超デキル人』なのかもしれない!!(笑)
こんなことはよく言われていますが、大吉自身もほんの少し前までは「そんなことねぇよ。やっぱり、デキル人はデキルんだよ」とか言って、ヤサグレれていました<(_ _)>
けどね、やっぱり、みんな一緒『フツー』なんですよ。特別デキルとか、できないとかはないんですよ。実際、脳科学では10ケタの数字を暗唱できる人間は、皆等しい力を持っているそうですよ。10ケタ・・・市外局番を含んだ固定電話の電話番号です。
もし、あなたがご自宅の、ご実家の電話番号を記憶できないというのなら、、、ごめんなさい。違う道を探しましょう。
みんな一緒『フツーである』というのを確信したのは、サッカー・サンフレッチェ広島の青山選手のコメントを目にしたときです。コレを目にした時、大吉は『あぁ、やっぱりこのレベルの人もこういう視点なんだなぁ。自分の考えと一緒やん♪』と思ったんです。ではコメント。
『僕は決して上手いプレイヤーではありません。自分では下手だと思っています。・・・』
いや!チョイ待ちぃ~な!あんた!
あんた、今年チームのキャプテンだけでなく、今、眼の前でリーグのシーズンMVPを取ったばっかりやん♪『日本で一番上手い』というといろいろ議論があるかもしれないけれど、アンタ、今年のMVPやで~~~~。
続いて、
『サッカーに対する情熱、試合に対する思い、気持ちでは絶対誰にも負けないという気持ちでいつもサッカーをさせていただいています。』
さらに、
『僕は12年間、広島で育てて頂き、広島だからここまで成長できたと思います。』
出展:MVP初受賞の青山敏弘「自分は下手」と語るも「広島だから成長できた」 | サッカーキング
あ、大吉理解した!理解できたよ!青山選手の考えが!(知らんけどな)
つまりですね。こういうことが言いたいんだと思います。
『僕は、上手い下手で言うと、マダマダ上がいると思ってます。本心から自分の才能のなさを自覚しています。コンプレックスです。だからみんなあんまり褒めないでください。恥ずかしくなるので。/けど、サッカーは好きです。大好きです。そこはだれにも負けません。/なぜ、自分がここに立てるかと言ったら、僕が入ったところがたまたま広島だったからです。広島でなく、他のチームだったらここに立ててません。つまり、僕の上手い下手は環境に左右される程度のものなんです。』(訳:大吉)
これね、アタマ悪い人はめっちゃ感動して聞いてると思います。「なんと青山選手は謙虚で素晴らしい人格者なんだ!」って。
けど、違うんですよ。青山選手は自分の下手具合が嫌なんですよ。どうしようもなくコンプレックスなんですよ。
コレなんですよ!コレ
仕事がデキナくて悩んでいるアナタ!
Jリーグというプロで飯を食えてて、しかもキャプテンを務めるくらいですから、普通には「才能がある」って判断されるでしょう。しかし、彼は、自分で自分に才能がないって知ってるんですよね。それは、プロになれなかった選手もプロになった選手も、そのまた上の選手も小学校からのキャリアのなかで『全レベルの人たち』を見ている青山選手だからこそ言える言葉なんですよね。
同じことが職場でもありますよね!?デキル先輩が『別に俺がデキル訳じゃないよ。たまたま、お前からしたら俺がデキル様に見えるだけさ』って。でも、実はその先輩の社内評価はめっちゃ高くて、『なんだよ!結局お前は「デキル奴」じゃんか~』ってね。
ぼくら、一般ピーポーからしたら、何かしらで大きな成果を上げている人っていうのはどうしても『超スゲェー人』って目線で見てしまうし、事実メディアとかでもそういう風に扱われてしまうので勘違いをしやすいですが、
大吉としては、思うわけです!
『実際、デキル人と呼ばれている人も、デキナイ人と呼ばれてる人も能力として大差はない』
と。
ほら、学生時代にも記憶があるでしょう?
隣の席の奴が、数学の模擬試験で98点を取っていて、自分が『スゲー!お前頭いいじゃん~!』と。でも、彼がこういう『やめてくれよ~。偶々だって~。そういうのマジ困るからさ~』って。そして、別の科目では自分のほうが少し『点』が良かった的な。
そうなんですよ。人は皆。自分が出せない結果を出せる人のことを過大評価してしまうんですね。
人は言います。『隣の芝生は青い』と。
自分が持っていないことを過大評価し、神格化し、そして、自分ができないことへの言い訳にする。
最低ですよね。
自分の努力のなさを棚に上げて、自分が上手にできないのを才能という誰にもどうしようもない理由で言い訳して現実から逃げてる人。
さっさと現実と向き合いましょう。
アナタはたしかに『デキルひと』ではないかもしれないが、『デキナイひと』でもないのだから。
~明日へ続く~
来春!新卒社員を受け入れるあなたへ
おはようございます。
加藤大吉です。
ほのぼのと、見ていてあんまりおもしろくない(?)記事が二日続きましたから、
さぁ、今日からまた煽っていきます第一弾!
来春!新卒社員を受け入れるあなたへ
っていうか、別に新卒でなくてもいいんですが、
今日はぜひとも来春後輩の指導を任される!もしくは現在進行形で後輩を育てている!な方にご一読いただきたい!
その内容は・・・ででん♪
『ホウレンソウなんて意味ないから!』
「あたりまえじゃぁ~ン♪」っておもったあなた!今日は終了!帰ってよし!
・・・ウソです。帰っちゃだめです。見てってください($・・)/~~~
「何言うてんの?」っておもったあなた!。マジです。
マズ、目をしっかり見開いて、耳をカッポじって聞いてくださいね(^v^)
まず、話を進める前に、ちゃんと「ホウレンソウ」の区別付きます?
報・・・おもに上司からの指示や命令に対して、部下が業務や作業の経過や結果を知らせることのことをいう。
連・・・職場の上下関係にかかわらず、簡単な業務・作業情報を関係者に知らせることをいう。この場合、個人の意見や憶測は含まない方が好ましい。
相・・・業務判断を行う際に自分のみの判断が困難なとき、意見を聞いて欲しい時に上司や先輩、同僚に参考意見を聞くこと。この場合、職場の上下関係はあまり関係しない。
以上。by wiki先生
これね、いつから言われ始めているか知ってます?いつからか?
バブルのころですよ。ば・ぶ・る♡
今いつですか?って話なんですよ。21世紀ですよ?にじゅーいっせいき!
たしかに、当時、アメリカを追いつけ追い越せで、ず~っとやってきて。上に言われたことだけをやっていればいい、そんな黙って思考停止状態でも成長できた時代であれば、上司が細かく部下の行動をコントロールする意義はあったのかもしれない。
けど、もう違いますから。
断言します!
もう、そんなの、時代錯誤ですから。ほんとに。
こんな時代に、ことこまかに「報連相」なんてやっていたら、まず『時間の無駄』そんな無駄なことに時間を費やすのであれば、ネットサーフを1時間でもして、得意先のために有益な情報を探したて、次の訪問時に世間話として話をさせたほうがよっぽど数字につながると思いますけど、どうですか?
しかも、日報とかありますよね?あれ、ほんま無駄ですよ。
「午前何時にA社訪問、今回は金額が高いと言われたので、次回訪問時までに廉価版の金額を出して、提案する予定。午後、帰社途中に飛び込みで、10件訪問、うち1社興味を持っていただいた。次回O月△日に訪問予定・・・」
って、誰のための日報ですか?しかも、文字が汚かったり、「日本語」がおかしかったら直せられるし。PCがフリーズしたときなんか目も当てられないですよね?
大吉が上司だったらこう言いますね
「バカ野郎~!A社に高いと言われたなら、さっさと次の見積もりを出さんかい!概算でもいいからはよだせや!他社が、午後にもっと安いのを出してたらどないすんのや?会社に弁償できんのかい!?」
「貴様~!次回のアポどりやら、アホウドリやらなんのとりか知らんが、そんなもんとっとる時間があったら、提案内容さっさとまとめて、先方にファックスでもメールでもせんかい!?なんだったら、今からでも行ってこんかい!」
以上。だって、こっちのほうが、明らかにお客さんのための動きになってるし。
上司を喜ばすため、もしくは上司の上司、あるいは上司の上司のそのまた上司を喜ばすためだけの無駄な報・連・相やめません?
しかも、報・連・相を義務付けることによって重大な問題が生じるんですよ。
それは『コミュニケーションコスト』の増大。
新卒ちゃんはまだ、右も左もわからないよちよち状態なんですよ。そんなときに『ぎむ~』って何かを押しつければ、押しつけるだけ新卒君は「失敗したらだめだ
!失敗したらだめだ!失敗したらだめだ!」って碇シンジくんばりに思考停止状態に陥るんですよ。
そしたら大変ですよ!?要ることいらないこと、全部言ってきますから。ホラやったことあるでしょ?学生時代に。
「以下のア・イ・ウ・エ4つの選択肢から正解を選べ。」
「う~ん。わかんないから全部書いとこ♡」って
そんで、当然、必要ない選択肢が入ってるからって叱るでしょ?
「ばかやろ~そんなことでいちいち俺の時間をとるな!!」って、
すると、また萎縮しちゃって、今度は「伝えるべき内容」を伝えてこなくなるんですよね。
だって「こんなことをいちいち先輩に言っていたら、また怒られる・・・」ってなるから。
もう、こうなると、悪循環ですよね。
そのうち、あなたへ『話しかける』こと自体ストレスになって、あんまり話をしなくなる。新卒君にとっての、あなたへの『コミュニケーションコスト』が高くなったら、もう、終わりです。ジ・エンド。ゲーム終了。
新卒ちゃんは、よっぽどのことがない限り、もう話してこないでしょう。そして、人知れずストレスを大きくしていって、運よく周りのだれかが、それを抜いてあげられなかったら、新卒ちゃん。退職へ向かって一直線です。
だから、そもそも、お客さんのためにも、会社のためにもならない『報・連・相』ってシステムを辞めませんか?って話なんです。
え?
『新卒が、何をしてるか?何に問題を抱えてるか?を知りたい』って?
なら、向こうから、話してくるのを待たずにあなたから話しかけなさいよ。
なに、お得(有益)情報が、向こうからやってくるとか勘違いしてんスか!来るわけないでしょう!?世の中必要なものは自分で取りに行かないと!
結構ね、人間って目上の人と話すって緊張するのよ。まして、優しいイイ子な子ほど、空気読もうとして大変なんだから、あなたから寄りなさい。話しなさい。そして、必要な情報は自分で取っていきなさい。そもそも、向こうが自分に雑談をしてこないとなれば相当コミュニケーションコストが高くなってる証拠です。
そもそも、世の中で『報・連・相をちゃんとしなさい』って自分で口にしちゃってる人ほど、あなたへのコミュニケーションコストがめっちゃ高いですから。自分で高くしたコミュニケーションコストは自分で下げてあげましょう。そっちのほうが、『報・連・相・・・』て吠え続けるよりも、アナタにとって得ですよ。
天国と地獄
皆さん。
クリスマスはいかがお過ごしでしたでしょうか?
もう、師走も終わりかけ、1週間後には2016年が始まってますね。
大吉は、どうも、来年も新卒研修を任せていただくことになりそうです。
さて、大吉が、人材研修のが必ず伝えていることがあります。
それは、
天国と地獄
です。
新卒に限らず、大吉から演習を受けた全ての方にお伝えしています。
どんな内容なのか!?
簡単です。
『人は死んだときに、「イイこと」をいっぱいした人は天国に行けて、「ワルいこと」をいっぱいした人は地獄に行く』っていう話。どっかで聞いたことありますよね。
『アレ♪ ウソですよん♪』
っていう話です。
どういうことか?
コレ、元は禅宗でのお話だそうですが、こういう話です。
『この世に天国も地獄もないよ。あるのは大きな釜にゆでられている大きなうどん。そして、大きな箸。天国に行ったとされる人たちは、その大きな箸で、まず隣の人にア~ンって食べさせてあげる。次にその人から、「お返しです。」ってお返しをいただける。地獄に行ったとされる人は、先に自分で食べようとする。当然大きな箸なので、うまくうどんを掴めずに床に落とす。そして、床に落ちて汚なくなったうどんを一人で食べる。』
どっかで聞いたことのあるようなお話でしょう?有名ですからね。
別に、珍しい大吉が創作した話ではありません。
しかし、大吉はここで、彼ら研修生にあることに気が付いてほしいんですね。
「現実は一つ。結果は2つ。選ぶはすべて自己責任。」
人間はいろんなところで、いろんな人間関係を持っていますね。
たとえば、学校での友人関係。職場の上司・同僚。ママ友関係。
その関係、あるいは環境といったものは自分では変えることはできません。
自分の上司のことが嫌いだからといって、自分の独断と偏見で上司を飛ばせる会社があれば、是非教えてください。転職したいと思います。(笑)
そうです。「大きな釜とうどん」「大きな箸」という環境は自分の努力では、変えられません。しかし、そこで、自分がどう動くかで、自分を取り巻く環境は自然と変わっていくものなんですね。
周りを見ずに、ただ、自分の腹を満たすことのみを考えて、行動すれば、周りには助けてくれる人は出てきません。
常に周りを観察し、困っているような人を助けてあげているような人には、必ず、お返しをしたくてウズウズしている人が大勢いるはずです。
周りに助けてもらえる人と、常に自分一人で戦っている人。どっちが成果を出しやすいでしょうか?どっちが「運」がいいでしょうか?おのずから出てくると思います。
ちなみに言うと、大吉は自分で自分のことを『フツー』な人間だと思っています。別に100mを9秒台で走れるわけではないですし。ものすご~くお勉強ができるカシコさんでもありません。
大吉の同僚に室温50度を超えたハウスの中でも1日中農作業をしている者がいます。ほんとにすごいことです。彼を尊敬しています(彼には嫌われてますけどね(+o+))。大吉には絶対に無理なことです。ヘタレです。すぐにサボりたがるし、人の手を借りたいと思います。でも、ただで、人の手を借りることには罪悪感を感じますから、その人が助けて欲しそうにしているときは、すぐに助けてあげたいと思います。
それでいいんじゃないでしょうか?
もちろん。自分の『スキル』を高める努力は大切だと思います。自分一人でできるようになることも大事だと思います。
しかし、だからと言って『独り』で行うことにこだわりを持ち続けると周りから人が引いていきます。そうすると大変です。いざ助けてほしいというときに周りに人が居ないんですから。助けてもらいようがありません。落ちた土まみれのうどんを食べることしかできません。何のために『独りで』できるようになるんでしょうね?
大吉は、一人では何もできません。このブログだってできません。
ほんとですよ!
いま、このエントリをご覧いただいているアナタが居て、それが、閲覧履歴(アクセス解析)を通して、今どのくらいの方が読んでくださっているのか。今日の閲覧が減ったのは記事が面白くなかったかなぁ。どんな記事にしたら皆さん読んでもらえるかなぁ~。
そんなことを考えながら書いてます。
でないと、1時間や2時間なんてあっという間にたってしまう記事作成なんか絶対できません。
見ていただけることが励みですから。別にスターとかもいらないんですよ。僕には。
だって、「クレクレ星人」
参考http://blog.hatena.ne.jp/daikichikato/daikichikato.hatenablog.com/edit?entry=6653586347149410617
になりたくないですし。
本当に面白かったら読み続けてくれるし、面白くなかったら、閲覧数減るでしょう?
だからです。
だから、皆さんに助けていただきながら、お返しとして、少しでも『面白かった』『ためになった』と言ってもらえるような記事を作り続けたいと思います。
最近は煽り気味の記事が多かったですので、ここ二日はほのぼの系でお送りしております。また、明日はちょっと煽ってみますが(^v^)
だから、だから、いつもご覧いただき本当にありがとうございます。
今日初めての方、本当にありがとうございます。